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南部せんべいで歴史を勉強


サプリメントダイレクトの工場がある二戸は岩手県ですが、三戸は青森県、八戸も青森県。だから二戸も青森県によく間違われます^^。先日、二戸駅で南部せんべいをお土産で買って帰りましたが、南部せんべいで有名な南部町は青森県三戸郡南部町、、、お隣なので、やっぱり二戸は青森県に間違われても不思議ではありませんね。
お土産を差し上げた方のお子様に「二戸は北の方なのに何で南部せんべいなの?」と尋ねられました^^。はい、日本史をちゃんと勉強された方から「南だから南部じゃなくて南部藩からでしょ!!」と言われそうですが・・・それでは少し二戸工場周辺の南部の歴史を振り返ってみましょう。

 
南部町は、その名に面影を残すように、南部藩発祥の地として古くから発達してきた歴史深い町なのです!!

■巌手屋いか南部せんべいはこちらから↓↓
http://www.supplement-direct.co.jp/item_detail/itemId,120/

源頼朝の奥州合戦に参加した功績により糠部群を賜った南部三郎光行(南部藩初代)が、建久2年(1,191)に現在の南部町相内地区に入部したという伝承があります。翌年、平良ヶ崎城を築城し、その後各所に城館を築き、南部氏本宗家の中心的居館である聖寿寺館が焼失するまでの約350年間、南部氏は南部町を中心に領内を治めたとされています。
初代南部三郎光行

町内には、国の重要文化財である南部利康霊屋をはじめ、南部氏に関連のある城館跡や藩主の墓、霊廟のほか、数多くの文化財、史跡が現存していることから、「南部藩発祥の地」または「奥州南部氏発祥の地」といわれています。

南部利康霊屋(国指定重要文化財)                南部利直霊屋(県重宝)
 
 
青森県内最古の仏像          永正九年に奥州糠部郡三十三観音の三十三番札所長谷寺に観光上人が納めた巡礼札
                                  
長谷十一面観音立像(青森県重宝)                       巡礼札(青森県重宝)

 
 
=南部氏の歴史=
●文治5年(1189)
源頼朝の奥州合戦に参加。そのときの功績に糠部を賜る。
●建久2年(1191)
初代光行公入部(入国)。相内の観音堂に到着。
●建久3年(1192)
平良ヶ崎城を築城。鎌倉幕府が始まる。
●元仁2年(1225)
聖寿寺館創建の伝説
●寛正6年(1465)
聖寿寺館炎上(1回目)。18代自政の時代。
●天文8年(1539)
聖寿寺館炎上(2回目)。24代晴政の時代。赤沼備中事件、この火災により南部家は歴史の記録・宝物のほとんどを失う。その後、田子城、川守田城、三戸城等に居城。
●天正18年(1590)
26代信直、秀吉から所領安堵の朱印状をもらう。小田原参陣。
●天正19年(1591)
九戸政実の乱。戦後、信直は福岡城と改め居城とする。
●文禄元年(1592)
文禄・慶長の役。信直、兵を率いて名護屋城(佐賀県)に参陣。
●慶長3年(1598)
不来方(盛岡)に築城を始める。
●慶長8年(1603)
不来方城(盛岡城)完成。藩主が定住するのは、28代重直の時代。

 

聖寿寺館跡という東北地方を代表する武士集団であった、甲斐源氏の流れをくむ南部氏は、鎌倉時代から戦国時代にこの地を本拠地としました。天文8年(1539)に家臣赤沼備中の放火により多くの記録や宝物を失いました。平成5年からの発掘調査により、貴重な遺物や遺構が見つかり、平成16年9月30日には、発掘や縄張調査等の成果と、その歴史的重要性が認められ国史跡に指定。

大型堅穴建物遺構

南北14m、東西6.2m。中世城館跡から検出した堅穴建物では国内最大級。

岩手の県北や青森にお越しの方は、東北の歴史散歩に是非行かれてみてはいかがでしょうか!!?

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